竹達彩奈という声優

試験が終わって完全自由人になったかけそばです。座右の銘は「明日から本気出す!」

さて、今回は声優研究会らしく声優論(議論というほどではないですが)について語ろうと思います。

皆さんが、最近の声優と言われて思い浮かべるのは誰でしょうか?

ミュージック・レインのユニットであるスフィアの4人が真っ先に浮かぶ人もいるでしょうし、大沢事務所の主力声優となりつつある花澤香菜さんを思い浮かべる人もいるでしょう。

私は、今回アイム・エンタープライズ所属の声優である竹達彩奈さんにクローズアップして語りたいと思います。

竹達さんといえば、「けいおん!」の中野梓役が真っ先に思い浮かぶひとが多いでしょう。

でも、けいおん!の配役って(HTTでは)唯と律以外外している、というか適性があっていないと思うんですよね。

例えば、琴吹紬役の寿美菜子さんの適役といえば、「うみものがたり」の宮守夏音だし、(もしくは「百花繚乱」の徳川千)

秋山澪役の日笠陽子さんの適役といえば、「いちばんうしろの大魔王」の服部絢子だと思うんです。(こちらに関しては異論を認めます、というか日笠さんを私はあまり評価していない)

で、本題の竹達さんの適役の話なのですが、私的には「夢色パティシエール」のバニラ役だったと思うんです。

最近の竹達さんの配役を見ていると、「えむえむっ!」の石動美緒や、「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」の高坂桐乃と所謂「ツンデレ」というキャラクターが続いています。

で翻ってみて、竹達さんがこのような「ツンデレ」役を演じるきっかけになったのが、バニラだったのです。

ここで、夢パティ視聴者の方々は首を傾げておられるかもしれませんが、確かににバニラは上記の2人のような「ツンデレ」キャラでは決してありません。(スウィーツ精霊の中には「ショコラ」という典型的なツンデレキャラがいるので)

では、なぜバニラが原点なのか?

それは、バニラ役での発声の仕方が極めてツンデレ的だったからなんですね。というか、もっというと「ハルヒ」的だったんです。

「ハルヒ」というのはもちろん「涼宮ハルヒの憂鬱」のヒロイン「涼宮ハルヒ」のことですが、このハルヒの特徴を演技的な視点で考えるならば

「声が強い」

ということでした。

従来のツンデレキャラというのは釘宮理恵さんにしろ、斎藤千和さんにしろちらかというと声が弱いのが特徴でした(例外はあります)

ハルヒの演技ははその前例を打ち破るものだったのです。その点で平野綾さんは、当時の若手声優としては(今でも)抜きん出て良い演技をする声優だと思います。

で、そのハルヒの演技を正統的に継承したのが、竹達さん、そしてバニラだったのです。

バニラは主人公のパートナーとして面倒見のいいキャラですが、その分おせっかい過ぎるところがあります。

おせっかいとツンデレの親和性については改めて指摘する必要はないと思いますが、「ツンデレとは母性である」というテーゼを反復しておきましょう。(もっともこのモデルもだいぶ崩れつつありますが)

本題に戻ると、このようなおせっかいキャラの演技を通して竹達さんは意識的か無意識的かわかりまませんが、ハルヒの演技を身につけたわけです。

そして、このようなハルヒの演技が花開いたのが「俺妹」の桐乃であり「えむえむっ!」の美緒だったのです。

桐乃の演技を聴いて「ハルヒに似ている」と思った方は私だけではないでしょう。尤も、桐乃のキャラ造形がハルヒと親和しているという理由もありそうですが。

さて、このようにツンデレ声優として頭角をあらわし始めた竹達さんですが、目下の関心事は今後の活躍です。

最近のアニメの配役をみると早見沙織さんに押され気味ですが、この2人以外に現在事務所が推している声優がいないのでしばらくは安泰でしょう。

また竹達さんの強みとして子供番組のレギュラー、すなわち「ジュエルペット☆てぃんくる」にミリヤ役で出演していることは大きなアドバンテージです。(この番組には平野さんもレギュラーで出演しています)

これらを踏まえると、まだまだチャンスはあるのでより細かい演技の幅を広げていければ(現状の課題は演技が一本調子気味なことでしょう)もっとよい声優になれると思います。

これからの竹達さんの成長を祈りつつ…

追伸:別に竹達さんの事なんて、ぜんぜんすきじゃないんだからね!

追伸2:あずにゃん(^ω^)ペロペロあずにゃん(^ω^)ペロペロ

著者:かけそば

(※ネタばれ注意)劇場版“文学少女”批評

音楽:100/100
脚本:25/150
演出:66/100
キャスト:49/70
作画:48/80
総得点:258/500
音楽
BGM:伊藤真澄,主題歌:eufonius
よかった,という一言に尽きる.ストリングスとピアノをメインに使った楽器編成は,ポップな序盤では軽快に物語を運び,シリアスなシーンでは登場人物の感情を映像以上によく映し出していた.一度聞くと耳から離れない美しいメインテーマはしかし決して物語を邪魔することがなく,むしろ物語中でアレンジを加えて何度も繰り返されることで,遠子先輩と過ごした年月が確かに存在したことを我々に思い出させてくれた.伊藤真澄のコーラスが入った曲も楽器のように響いて聞いていて心地よかった.
主題歌に関しても,素晴らしいとしか他に表現のしようがない.曲を聴くと映像体験がフラッシュバックし,歌詞を読むことで2重に追体験ができる.映像を見てなくても十分素晴らしい曲なので是非聴いてみてほしい
脚本
監督:多田俊介,脚本:山田由香
良い部分もあったが全体ではひどいと言わざるを得ない.よくないところを列挙すると,
1. 主人公に感情移入することができない
2. キャラクターの物語内での存在意義が分からない
3. 全体的な物語のバランスが良くない
の4点だろうか.
理由として,第1によくないのは,開始10分で物語上の時間が2年経過してしまう事にある.これにより観客が置いていかれてしまい主人公の気持ちや思い出などが体験できない.よって,感情移入ができなくなるのである.また他のキャラに関しても,掘り下げがないため他のモブキャラと扱いが変わらなくなっている.
第2の理由として,キャラクターの多さにある.この物語で,メインとなるのは心葉,遠子,美羽の3人である.これ以外のキャラクターはほぼいなくても成立するから,もっとキャラ数を減らして役割をはっきりさせる必要がある.例として竹田,姫倉はまず必要がない.芥川・ななせは必要だがもっとシーンを削ってもいい.
ここまでけなしたが,心葉,美羽が遠子という存在によって「浄化」されるというテーマと宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を絡めた構成,たった一人の未完成の人間でも他人に幸いをもたらすことができるという力強いメッセージはしっかりと描けていた,特に美羽の描写はよくできていて感情移入することができた.それだけに,他のキャラクターの存在が煩わしく感じることもあり物語バランスの悪さを感じた.
演出
不明
演出に関してはよい部分と悪い部分がはっきりとしていた.
まずよい部分は,プラネタリウムのシーンである.遠子による浄化が夜空の星星と天の川によって演出されていて非常に美しかった.また,序盤のコミカルな演出もポップさとシリアスさを対比させるうえでは良い役割を果たしていた.
悪い部分は,主人公の描写である.主人公の感情がオーバーに演出されすぎていてうまく感情移入できないと同時に,物語の把握の妨げともなっていた.1回目に見たとき主人公は病気なのではないかと疑った.
キャスト
天野 遠子:花澤香菜
井上 心葉:入野自由
朝倉 美羽:平野綾
琴吹 ななせ:水樹奈々
櫻井 流人:宮野真守
芥川 一詩:小野大輔
全体的には納得のキャストだった.特に平野綾は彼女以外に代わりが思いつかないような好演技を見せた.精神的に病んでいる難しい役どころであったが,あまりにも真に迫っていて感動した.当初心配された花澤もしっかり演技出来ていた.少し鼻にかかった独特の声や本人のサバサバした人柄も役柄に合っていたように感じた.少し残念だったのが入野自由で,及第点ではあるが,心葉の純粋すぎる性格を表し切れていなかったように感じた.他に関しては特に文句がない.というか大して重要でないので誰でもよかったといえば誰でもよかった.
作画
アニメーション制作:production I.G キャラクターデザイン:松本圭太
 アニメーションとしては,よく動いていたと思う.ただ,同時期の他の劇場版アニメと比べてちょっとクオリティが低いと感じてしまった.特に,髪の毛の1本1本や服の縫い目など細かいところが少し雑に感じた.キャラクターデザインは顎がとんがりすぎているのが気になった.
総評
 いろいろな意味でもったいないなと感じてしまった作品.「監督が原作から受け,伝えようとしたテーマ,メッセージというのは理解できたが,それにこだわり物語を抽出しすぎて観客不在の作品にしてしまったと思う.このテーマを伝えるなら,「文学少女」という看板を取っ払って,新しい作品で勝負した方が良かったのではと感じた.(実際は権利上の問題で無理だとは思うが)
 また,劇場作品という事で多数の人がかかわった結果,原作の純粋さが失われてしまったように感じた.原作未読であるからこの点は深く掘り下げられないが,表紙などのイメージからは,もう少しゆったりとしていて透明な作品だと思っていたので,シリアスな展開に少し驚いた.その点では原作を忠実になぞった,「消失」の方が面白いかどうかは別として完成度は高かったし,劇場作品で多数の人がかかわっても自身のオリジナル色を一切失わない新海誠はやはりすごいと感じた.
 結論としては初見では受け付けない,作品としては未完成なものだったと言える.筆者は1回見て,キャラクターの役割をしっかり把握したうえでもう一度見てようやく作品をしっかり鑑賞することが出来た.なので,是非DVD化した際には2回見ることお勧めする.
                                                                                                                    著者:かけそば

魔法少女リリカルなのは The Movie 1st 見納め 

2010年も12分の1を終え、2月になりました。今は雪が降っているみたいです。

そんな中、なのは The Movie 1stを見てきました。3回目(´ω`)。1回目は舞台挨拶で、2回目は渋谷で友人と、3回目は川崎で弟と見てきました。

3回行くと、メモリアルフィルムコマがもらえるんですよ。そんで、もらったのが下のコマ

もうね、いやいいですよ。この際プレシアなことはいいとしましょう。五十嵐さん頑張ってるし。

で、なんでこのシーンなのかと。しかも5コマ目で、目を見開いちゃってますよ。「くわっ!」って。

まあ、1期こそのコマということで、無理やり自分に納得させました。もういいです。

あと、弟が2回目だったんで、もらってきましたポートレート

めっちゃいいですね。百合百合してる感が最高に。

もひとつ、お気に入りのグッズを。

このマフラータオルはいい!都築真紀さん監修ということで、この絵好きなんですよー(・ω・)

ということで、DVDが出るまで、なのはは見納め。

来週は、来年度のことについての会議があるっぽいです。メンバーもいい感じに増えているみたいで、人数が多いほど誰を呼ぶかなんかももめる可能性が高そうで。まあ、誰を呼ぶことになっても、僕は自分の仕事を目いっぱい楽しめればいいかなと。

そんなこんなで、まだ明日テストが残っているので、今日はこの辺で

著者:しー

若者のしゃべり方をなんとかする試論

この社会の一員として、そして一人の声フェチとして、どうしても見過ごすわけにはいかないことがある。
それは、世の中のどちらかというと「やんちゃ」なグループに属する若者たちに特有の
あのしまりのないふにゃふにゃした喋り方である。
例をあげてみよう。

「エーうまぬやー、も~や~買ってきよーさい。にーりたんとや言わせねーらんよ」
(訳:おいそこの君、タバコを買ってきてくれ。嫌とは言わせないよ)

失礼、これは沖縄弁だった。
でも言いたいことはわかっていただけたと思う。

あの、声を出すのもめんどくさいと言わんばかりのだらしねぇ感じと
だらしねぇにもかかわらず、そうやって話すことがカッコイイと思い込んでる勘違いっぷり。
これは世間の目から見ても、非常によろしくないことだと思う。

だからこそ僕は、やんちゃなクソ坊主どもにこそ、ハキハキとしゃべってもらいたいと思う。
というか、そうしてもらわないと困る。

たとえば、ちょっとアウトローな方と、すれ違いざまにうっかり肩をぶつけてしまったとする。そこで
「ってぇー!おいィ、おめぇおこめぇつけえほっつえあういてぇんあぁ!?」
なんて絡まれたら、もうお手上げである。コミニュケーションの取りようがないんだもん。
喧嘩を売ってるのかどうなのかくらいはっきりしてもらわないと、こっちが困るのだ。

これが沖縄だったら
「あがっ!まーんかいみーをつけてさるいているぬやいびーんか!?」
もっと無理かもしれない。

ともかく、このだらしねぇ若者喋りは、致命的なコミュニケーション不全を生みついには深刻な治安の悪化をもたらす。
我々は早急にこの課題を解決せねばならない。
しかし、どうすれば解決できるのか。

結論から言おう。

ずばり「アニメの普及」、これによって解決できる。

近年、日本のアニメは、ますます市民権を拡大しつつある。
「高校のときリア充だった友人と久しぶりに再会したら、急にハルヒやひぐらしについて熱く語りだし、びっくりした」というのもよくある話。
この調子でもっと裾野を広げ、世の中のはみ出し者にもアニメの魅力を伝えてしまおう、という計画である。

もしこの計画が成功すれば、どうなるか。

答えは、「彼らの声がすごくよくなる」。

いわゆる不良グループの人というのは、自分がカッコイイと思うものを模倣しようとする傾向が非常に強い(と思う)。
先輩が校舎裏でタバコをふかす姿に憧れて、自分もタバコを吸い始める。
暴走族に憧れ、教習所に通ってバイクの免許を取る。
腰パン姿がカッコイイと思って、自分もズボンを下げパンツを見せる。(あいつらはパンツなのに恥ずかしくないのだ)などなど。

言うなれば「先パイ、マジカッケーっす!」という純粋なリスペクトの精神こそ、非行少年のメンタルの核を形成しているといってもよい。
だからこの純粋さを正しい方向に導いてやれば、非行少年は目の輝きを取り戻し、夢に向かって走り出すのである。(詳しくは「ごくせん」を参照)

ここまで言えば、もうおわかりだろう。

非行少年たちがアニメにどっぷり浸かるようになれば、彼らが尊敬し、まねる対象は
アニメに登場する素敵・さわやか・エロティックな声の男性キャラ、ひいてはその中の人となる。
つまり、彼らの模倣の対象が「マジカッケー不良の先パイ」から「緑川光」に変わるのだ。

こうして世の中のはみ出し者は、みな目を輝かせて声優への道を歩みだし、養成所に通いだす。
その中の大半は声優になれず、途中でグレて再び不良の道を歩むことになるかもしれない。
だが、それでいいのだ。
そうして生まれるのは「異様に滑舌がいい、大量の不良」である。
ちゃんとコミュニケーションも取れるし、声がいいから話していて心地よい。
おそらく、7割くらい不快度は減るんじゃないかと思う。

それに、不良側にとっても大きなメリットがある。

学生にとって、「不良」という属性は、女子にモテるステータスである。(本当になぜかモテる)
そこになんと、「緑川光」属性が加わる。そんなハイスペック男子を、世の女子がほかっておくはずがあろうか。(いや、ない)

そう、元よりモテる不良たちが、そろってアニメを見るようになれば、鬼に金棒。
さらにいい声を手に入れた結果、これでもかというくらい女子にモテる。
そして、ただでさえ少なかった俺たちの取り分は限りなくゼロに近づき…えっ!?

…。

 

 

だから、世の中の不良の方たちには、あのだらしない喋り方をもっともっと続けてほしい。

アニメも見なくていい。

 

 

-おわり-

                                                                     著者:ブレーン(笑)